養蚕、さつまいも、タバコ生産と、時代の流れとともに、常に農業開発をしてきた照来高原ですが、農業だけでなく、畜産や加工生産など、そのパイオニア精神は目を見張るものがあります。昭和36年には飯野村に養鶏生産組合が設立されましたが、これは兵庫県下において第1号の農事組合法人でした。
昭和初期から、1970年代は、積雪が多い冬の農閑期に、農地の農家経済を支えるための出稼ぎが盛んでした。その中でも灘を中心とした酒造への出稼ぎが多く、造り職人衆をとりしきる長(杜氏)として活躍された先人も多くいました。彼らは、また、酒作りの手法をこの地にも残し、独自のどぶろく生産を行っております。
しかし自給自足経営から商品生産経営へと転換してきた照来の農業ですが、押し寄せる高齢少子化
の流れには逆らえず、少数の先鋭農家が、むかしからの伝統の農法を伝えながら、純度の高い野菜作りを行っております。
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