松阪牛、前沢牛、米沢牛、佐賀牛をはじめ、日本で生産される黒毛和牛の98%のルーツといわれている但馬牛ですが、そのブランドと品質はどのように生まれ、維持されてきたのでしょうか。
蔓(つる)牛の誕生
但馬牛の奇跡的とも言えるまろやかな風味と、融点の低い、文字通りとろけるような霜降りを実現している但馬牛ですが、これはなにも自然発生的にできたのではありません。山深い但馬の地で、愛情豊かに育てられた牛たちが、家族同様に育ててくれた但馬の畜産農家たちの愛情物語があるのです。
但馬地方の渓谷を中心に飼育されてきた優秀牛の系統を「つる牛」と言い、現在では3系統のみ100年以上の歴史を経て残っています。
・あつたづる・・旧美方郡美方町(香美町)
・ふきづる・・旧美方郡温泉町(新温泉町)
・よしづる・・旧城崎郡香住町(香美町)
前田周助(1798-1872)は、同じ美方郡の美方町小代に農家の長男として生まれ、成長するにつれて、ますます牛を愛し、鑑識眼に優れていました。良牛小代牛の血統を固定するために、100年に1頭とわれる良牛、同じく美方郡の村岡町の雌牛を手に入れました。飼料の吟味から一切の手入れ、繁殖に力を注ぎ、年々良い子牛が産まれるようになり、周助の生み出した牛は、「周助蔓」といわれ、今の「但馬牛」の系統の基礎となりました。
万延元年(1860)年ごろに照来にやってきた子牛の十代目にあたる優れた母牛が大正14年、照来7つの村の一つ“中辻”の西よねさん方に生まれました。ふきが3歳とのき、丹土村の中井利造さんが買い取り愛育、4歳で初産をしてから14年間にメス七頭、オス4頭を生み、その子孫である雄牛「李中」は但馬牛の名牛の系統を作りました。
この純血種が松阪牛、前沢牛、米沢牛、佐賀牛をはじめ、日本で生産される黒毛和牛の98%のルーツといわれております。日本のほとんどの原産地ブランドや伝統が明確な定義が難しくなっているにもかかわらず、ブランドと品質、その血統および生産地のさまざまな条件など、但馬牛ほど、明らかに原産地とその特性が判明されているものも珍しいといえます。
リンク なぜ但馬のこの地が牛の生育にいいのか
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